歌舞伎や落語などの日本の古典芸能の世界を描いた漫画は、数こそ多くないものの昔からひとつのジャンルを築いてきました。
最近では、「落語」をテーマにした『あかね噺』が人気ですね。
では、同じ古典芸能でも「講談」はどうでしょうか?
とかく落語家と比較されて、「絶滅危惧”職”」とさえ揶揄される講談師の世界。
しかし、そこには落語とは一味違った歴史と味わいがあります。
今回ご紹介する作品『ひらばのひと』は、おそらく史上初になるであろう「講談」と「講談師」の世界を本格的に描いた漫画です。
『ひらばのひと』の基本情報
- 【作者】 久世番子 (作者
Twitter[X]) (作者Wikipedia) - 【監修】 六代目神田伯山 (公式
Twitter[X]) - 【掲載メディア】 週刊モーニング (講談社)
- 【作品公式
Twitter[X]】 【公式】講談師漫画『ひらばのひと』 - 【掲載期間】 2020年9月~ 2025年6月 (完結) [全6巻]
『ひらばのひと』のあらすじと登場人物
あらすじ
落語家との認知度の差は歴然で、絶滅危惧「職」とまで言われる講談師の世界。
そんな世界に飛び込んだ「前座」2年目の泉太郎と、その姉弟子で「二つ目」の泉花、それぞれの日々是修行の日常を描きます。
そんな中、かつて謎の失火で幕を下ろした最後の講談専門寄席「音羽亭」の存在が、物語に薄い影を落としてくるのでした。
主な登場人物
【龍田泉太郎】 : 駆け出しの「前座」講談師。
飄々とした性格だが、講談にかける想いは熱いものがあり、講談の最盛期を体験できなかったことに疎外感を感じることも。
講談界で久々に入門してきた待望の男性講談師のため、常連ファンからは辞めたり落語への引き抜き過度に心配されている。
【龍田泉花】 : 泉太郎の姉弟子で、現在「二ツ目」の女流講談師。
自身の真打昇進を目指して悪戦苦闘しつつ、弟弟子の泉太郎の扱いにも何かと気を揉む毎日。
OLを辞めて講談の世界に飛び込んでおり、サラリーマンの夫と二人暮らし。
【大塚初音】 : 泉花たちが訪問した高校で開催された「学校寄席」をサボっていたことがきっかけで泉太郎と知り合った女子高生。
最初は講談に全く興味が無かったが、次第にその面白さにのめり込んでいく。
実は本人の知らないところで講談とは深い縁があって…
『ひらばのひと』のここが面白い!
① フラットな視点から描かれる「講談」の魅力
この作品の大きな魅力は、「講談ってこんなに面白いんだよ!」的な、ヘンに肩に力の入った押しつけがましさが皆無なところです。
講談という芸能が置かれている現状をきちんと認めた上で、講談の魅力を盛り過ぎることも卑下し過ぎることもありません。
講談とその界隈の人々の魅力を過不足なく伝えようという真摯さが感じられます。
人気や派手さでは落語には敵わないと潔く認めた上で、それでも講談には講談としての魅力があることを静かに訴えかけます。
この方向性が、元々の作者の着想時点での意向なのか、それとも監修の六代目神田伯山氏のアドバイスなのか分かりません。
しかし、そのことが作品全体に程よいリアリティを持たせる効果を与えています。
また、修行系・人間成長系の漫画にありがちな
- 絶対的な才能を持ったライバルの出現
- 若手が一堂に会してのトーナメント(いわゆる武闘会)
のようなモロにマンガ的なあの過剰なギミックもありません。
少年誌の読者ならば、「ライバルとの死闘」や「地獄のトーナメントでの激闘」が無いと物足りないのかもしれません。
しかし、青年誌の読者の大半にはもはや食傷気味なので、大仕掛けなど不要なのです。
むしろ、そういった分かりやすい仕掛けが無いことによって、芸事においては、
「ライバルは他人ではなく、自分自身なのだ」
という当たり前の真実がかえって浮かび上がってきます。
だからこそ、淡々した日常を丁寧に描くことで、その中で登場人物たちは日々「静かに」闘っていることが説得力をもって伝わってくるのです。
② リアルで「正直な」人物描写
大きな仕掛けやギミックがなくても、グイグイと引き込まれるように読んでしまうのは、その人物描写のリアルさ、というか「正直さ」です。
一番分かりやすいのが、泉花の人物設定でしょう。
なにしろ、この人は先輩なのに全く先輩らしくありません(笑)
男というだけでチヤホヤされる泉太郎に嫉妬したり、的確なアドバイスを与えられずに苦悩したり、自分の高座で大失態を演じたり…
かといって、泉花が特別「ダメ人間」である訳でもなく、これが現実のリアル先輩の姿です。
なにしろ、先輩だって修行中の身なのですから、完璧であるほうがかえって変なのです。
普通、この手の物語の「先輩」は、後輩に対してビシッとアドバイスを与えられる完璧超人として描かれることが多いのがパターンです。
しかし、この作品では現実に即してちゃんとリアル寄りに描かれています。
泉花の持つ「人間臭さ」や「強さも弱さも併せ持つ」キャラクターはとてもリアルで、かえって愛らしいのです。
また、この作品では他にも師匠や同じ寄席に出入りする落語家なども程よく有能かつ愛すべきダメ人間として描かれていて、なかなかにリアルです。
③ 「泉太郎」視点で見るか、「泉花」視点で見るか
実はこの作品、主人公がハッキリしません。
公式の紹介ページでは一応「泉太郎が主人公」ということになっているようです。
しかし、連載開始時のコミックナタリーの記事などでは「泉花が主人公」と紹介されていたりもします。
ただ、それがかえって物語に幅や深みを持たせる効果を与えているように思えます。
- 【泉太郎を主人公として読む】→ 底知れぬ「講談」という芸に対して真っ直ぐに突き進んでいくストレートな青春モノ、人間成長モノ
- 【泉花を主人公として読む】→「講談」という事の世界の現実に対して「ひとりの人間(女性)としての自分」がどのように客観的に折り合いをつけながら生きていくのか、という人生を貫くストーリー
個人的には後者のほうで読むことが多いのですが、もちろん前者の泉太郎の立場で読んでも別の味わいがあります。
どちらが正解ということはなく、どちらで読んでもとにかく面白いのです!
おそらく、作者の久世先生もこの辺は意図的に仕掛けているのではないかと思います。
まとめ
現役講談師六代目神田伯山監修!と聞くと、なんだか恐れ多い感じもします。
しかし、この作品は極めて自然に、私たちが普段目にすることのない「講談」「講談師」の世界を垣間見させてくれます。
古典芸能に全く興味が無い人でも大丈夫です。
単純に青春モノとして、あるいは人生における人間の成長モノとしても十分に楽しめるストーリーにもなっていますので、気軽に読んでください。
その「おまけ」として、少しでも講談に興味を持つ人が増えるのならば、久世先生や伯山師匠をはじめとする講談師の方々に「しめた!」と喜んでもらえることでしょう。
【追記】
2025年6月12日発売の週刊モーニング28号にて完結となりました。
良い作品だっただけに、どうしても打ち切り感が残るのは正直言って残念なところです。
それでも、決してありがちな「才能バトルもの」に持ち込まず、登場人物たちの心情の機微を丹念に描く姿勢を貫いたのは立派だと思います。
このまま消えて行くにはあまりにも惜しい良作と言えます。
またいつか、媒体を替えてでもどこかでぜひ続きが読みたいマンガです。
【追記②】えっ!あの有名人も読んでるの?
ニュースでちらりと見たのですが、大のマンガ好きで知られるあの総理経験者の政治家のセンセイが、この作品をお読みのようで…
しかも、6巻で完結するまでしっかりと読み通したご様子。
さすがのマニアックでシブいご趣味に、正直言って驚愕でございます。
よろしかったらこちらの作品も…
古典芸能を取り扱ったマンガでいえば、落語がテーマですが、秋山はる先生の『こたつやみかん』も隠れた名作です。
「古典芸能」+「青春モノ(友情モノ)」では群を抜いた傑作ではないかと思います。
特に、ラストシーンは(マジで)泣ける…
ちょっと前の作品にはなってしまいますが、色褪せない名作なのでこちらもぜひご覧ください。